2009.6.3.

大槻の引率班は,みずしま財団さんを訪れました,

公害患者さんの支援から始まって,現在は,水島地区の環境再生などにも取り組まれています。

いつものようにバスでスタート
 

みずしま財団の方からの説明を受けながら・・・まずはバスで水島地区を案内してもらいました。
 

バスは緑地緩衝帯沿いに東へ向かいます。

工場地帯と住宅地帯を分け,公害対策・防災対策として設置されているそうです・・。
が,工場地帯側にも住宅があったり,そのサイズなどにも,問題は残っているとの説明でした。

 
松竹梅という目出度い名前の交差点・・・実は,元々は堤防かな,それが3つ寄り集まってめでたい場所ってことでついた地名・・・農地開発新田開発時代の名残ですね・・。

そして,鷲羽山スカイラインを昇るべく,鴨ヶ辻山を目指します。
   

コンビナートが一望です。
そして緑地緩衝帯もはっきりと見えて・・確かに,工場側(写真左側)にも住宅地域もあります。
松竹梅の交差点もわかりますし,そこに出来ている福田公園もはっきりわかりますね。
   

展望台で下車して,説明を受けました。
 

大槻も初めて知りました。
夏に吹く南西の風,そして北〜東を山に囲まれた地形(大平山〜種松山〜鴨ヶ辻山)が空気を汚染された空気を東の地域に集めてしまったそうです。

玉島山の麓の集落である「松江」地区,それと当時漁港であった呼松地区・・・そこに汚染された空気が集まってしまったそうです。

  

それぞれに成立ちの状況があるのですね。

現在は1軒というかお一人しか漁業を営まれていないという呼松地区を抜けていきます。
コンビナートが出来るまでは,漁港はたいした賑わいで,ダンスホールや映画館などもあって,とっても栄えていたそうです。

今は,港にもレジャー用のボートが並ぶだけですが・・。
 

そして,集合高煙突の下を抜けていきます。
  

当時,「岡山方式」と呼ばれ,高くすれば薄まって放出されるだろうって考えから実施されたそうで・・・160mくらいの高さらしいですが・・。
効果はなかったとのこと!


水島臨海鉄道の貨車が走っていました。貨物輸送です・・
勿論,現在は,倉敷市駅〜三菱自工前駅間の旅客営業もしていて,「ピーポー」っていう愛称ですよね。

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そして,水島港を抜けていきました。
タイヤを付けたタグボートが沢山停泊していました。
海上保安庁の船も・・・。
 

ちょうど,この班が,4月に訪問した三菱自工前を過ぎて・・・八間川沿いに北上します。

この八間川は昔の東高梁川の名残でもあり,しかし,実際には現在も下水の流れている放水路でもあり・・・とのことです。
特別都市下水です・・下水のところで学びましょう!

  

さて,みずしま財団の事務所・・その向いの「あさがお会館」に着きました。
  
ここでは,もう一度おさらいをした後,その後,実際の大気汚染公害の患者さんからのお話,支援されてらしたドクターからのお話,支援団体の方からのお話を聞かせていただきました。
  


身近でありながら,また,公害の内容は,授業でも伝えながら,詳細は知らなかった部分もありましたので,大変,参考にもなりましたし,かつ,臨床医学の中で,症状を持たれる患者さんの背景をどこまで知るようにしないとならないのか,という根本の問題についても,再確認させていただいた感じが強いです。

その時も,コメントさせてもいただきましたが,やはり認定されるということへの思いと,それとは別に疾病を抱えた者として生き続ける苦しみや辛さ・・・それを,僕らはきちんと感じた上で,受け止めて,そして,それでも医学医療として最善を尽くさねば,という思いです。